アンコールワット

8月2日、ベトナム航空でホーチミンへ。そこで日本からの乗客はほとんどがアンコールワットのあるシュミルアップへ向かうが、我々はプノンペンへ向かう。プノンペン空港では、カンボジアでNGOを立ち上げて活動されているオク・ビチェイ氏が迎えてくれた。難民として日本で暮らし、今はカンボジアと日本を行き来して、祖国の復興にかけているビチェイ氏である。

 プレイ・バン村の学校訪問  (ET記)

プノンペンから東へ70キロ。途中メコンをマイクロバスも一緒にボートで渡る。母なるメコンはカンボジアの大地の色のせいだろうか、濃い茶色一色。道路では日本のゼネコンが道路造りをしていた。建設中の道を半分実用に使い、半分で工事進行という、再建中の国ならではの風景の中を走って、プレイ・ベンの二つの小学校へ。どちらの学校でも、子供たち、先生方、村人が、暑い日差しの中を詰め掛けて待っていてくれた。子供たちは日本の歌、「ふるさと」を歌って歓迎してくれた。こちらは太田さんが、「幸せなら手をたたこう」で子供たちを巻き込んで楽しむ。

私たちは学校に綱引きの綱を送り、子供たちに鉛筆とノートというささやかな贈り物を用意していった。子供たちは始めて綱引きを体験して、大いに盛り上がった。子供たちのくったくのない笑顔。綱引の歓声。車と一緒に走って手を振る子供たち。子供たちの姿の向こうに、カンボジアの未来が見えるようだった。我々も涙を拭きながら別れを惜しんだ素敵な出会いの一日だった。 


プレイ・ベンの小学校の子供たち

学校に集まった村人たち

綱引き

                       <画像の上でクリックすると拡大表示されます>

トールスレン博物館 (MO記)

プレイ・ベンの小学校で、カンボジアの未来と出会った翌日、カンボジアの過去の、暗い歴史を語るトールスレン博物館へ。

ここは1975年四月から1979年まで、3年8ケ月に及んだポル・ポト政権時代の刑務所跡である。今は博物館として保存されているが、かつて高校だったこの場所で、スパイとみなされた多くの知識人、政府要人、一般市民が拉致され取調べという名の拷問をうけて、虐殺された。

当時そこは[S21]と呼ばれたという。他にもたくさんこうした収容所があったわけだ。建物は一階は独居房、二階は雑居房で、中庭に面した廊下には、飛び降り自殺を防ぐための有刺鉄線が張り巡らされていた。博物館の壁には、当時の残虐な拷問の様子を描いた絵があり、器具が並んでいる。犠牲になった人々の写真がいくつもの部屋の壁を埋めている。中庭には、収容者を縄で逆さ吊りにして、汚水に顔を漬けてはまた吊るしたという鉄のバーの向こうに、プルメリアの白い花が咲いていた。

記録に残されているだけで、二万人が収容され、生き残ったのはたった6人という。

キリングフィールド  (ET記)

トールスレン博物館を後にしてキリングフィールドへ。そこでは記念塔に安置された2000体のサレコウベが、虚空を見つめた姿で我々を迎えた。記念塔の向こうに続く原っぱには、いたるところに穴が残っている。二百の遺体が重なって埋められていたという大きな穴には、水がたまっていた。首のない遺体だけが掘り出されたという穴は、今は草生して、紫の花が咲いてる。まだ遺体が掘り出しきれないまま放置された穴が、いくつもあるのだという。足元に今も放置される人骨と衣類・・・。これがキリングフィールドなのだ。

日本人学生が数名、カンボジア人の友人と一緒に回りながら、懸命に英語の説明を読んでいる光景に出会った。


サレコウベ2千体が安置された記念塔

地面に残された人骨と衣服

植樹に参加  (M0記)

8月5日、宮脇昭先生(横浜国立大学名誉教授)の一行に合流しての植樹に参加。ホテルをマイクロバスで早朝に出発し、西北に向かう。やがて人家のない平野を二時間ほど走る。雨季なのに畑は乾燥して作物もあまり見えない。どうやらこの辺に目指す会場があるらしい思った頃、畑の中に大きなテントが見えてきた。驚いたことに、子供から大人まで、1000人を超える村人達がテントの下で我々の到着を待っていた。宮脇先生の一行は二グループで総勢四〇人位。先生を中心にする「土地本来の木を植える会」のメンバーと、香川県の団体の呼びかけで、集まった若者たちだ。

植樹は百メートル四方の溜め池二つの周囲にさまざまな木を混ぜて植える。すでに村人たちが掘っておいてくれた穴に、五0センチ丈ほどの苗を入れ、土をかぶせて水をかける。村人たちと協力して千本近い木を植えていく。やがて木が大きくなると、池に陰をおとし、溜池を守ってくれる。しかしこのままほっておくと枯れずに生き残る木は一割にもならない。というわけで、今回は、企画者ビチェイ氏の考えで、給料を払って水遣り管理人を頼むという。カンボジアの未来へつながるお仕事を村の人々とを協業した一日だった。

その夜は、宮脇先生の宿泊先のホテルで行われた講演会と懇親会に出かけた。カンボジアの子供たちが演ずる伝統舞踊の鑑賞も楽しかった。植樹活動に参加した日本の若者たちは、実に明るくやる気に満ちていて、爽やかだった。こんな若者たちがたくさんいるのだと考えると、日本の未来にも世界の未来にも希望が持てる。


一緒に植樹するために待っていてくれた村人たち

植樹をした池・・・・人も家畜もこの水がたよりだ

追記

同行のMOさんが井戸を一つビチェイ氏に託して村にプレゼントされた。手動の青い井戸の前に、贈りOさんご夫妻の名前が刻まれた写真が既に届いています。


ポンプがついた井戸


                        報告(2008.11)

               SIAカンボジア、スタデイーツアー その後

               緑が蘇がえるか  カンボジアの村々

◇2006年、SIAカンボジア,スタデイーツアー

市民活動家ワット、プノンの河野氏とともに出かけた2006年のカンボジアでは、NGO活動家ビチェ氏の進める祖国復興運動のなかで、SIAの参加者は植樹に参加した。戦火による森林の荒廃に見舞われた村では濁った溜まり水を家畜と分け合って暮らす現実です。その村にため池を掘り、池の周りに緑を復活する、、、、。村人総出の壮大なプロジェクトに参加できたSIAスタデイーツアーでした。

(この池の周りに植樹 500本)

写真クリックで拡大表示されます

◇あれから2年経ちました。
あの時植えた木々はその後どうなったのか?河野氏からの情報では、厳しい乾期にかなりの苗木が枯れた、放し飼いにされている牛達が、育ち始めた苗木を食いちぎって枯れていくといった状況とのこと。失望と心配がよぎっていました。今年河野氏から嬉しい情報が届きました。カンボジアへ出かけて現場を訪問し、確かめて来た確かな情報です。何と、カンボジアの明るい太陽と村人の心意気で生き残った苗が育ち、木陰が出来るほどに育っていたとのこと。
河野氏撮影の写真には、ため池には蓮が咲き、樹々は水面に緑の影を落としています。

(池のほとりに立つ河野氏夫妻)

◇カンボジアはかつて緑豊かな平和な国でした。長い内戦の時代を経て銃痕で満身創痍と成りながらも生き延びた森を残すシュミルアップのアンコールワット遺跡を歩くと、其の緑の豊かさが分ります。

写真 2006年旅の写真


上空からシュミルアップを見る

アンコールワット

アンコールワット(巨木の根っこが遺跡に食い込んでいる、豊かな森)

カンボジアの平和、我が国の平和の継続を祈りつつ、、、。

                      (E.T.記)





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                                                               最終更新日:2006.09.20